推し活に疲れ果てていたら・・秋を通り越して冬が来ていた件

学び

推し活に疲れ果てた私が、もう一度自分を大切にするために

お久しぶりのブログ更新です・・・
シンプルに疲れていました。
いや、疲れ果てていました😥


「現場があるのに、行けない」から始まった心のざわめき

という事で、今日は正直な気持ちをここに書き残して
気持ちを切り替えていこうと思います。

推し活が大好きで、これまでどんなに忙しくても現場(ライブ・イベント)に行くために予定をやりくりしてきました。
でも今回はどうしても行けない!!ということが続いてしまって・・・
テンションだだ下がり。
正直、生きる意味を失いかけました。

しかし・・・大人なので・・・生きるためには働かねば。

行けない理由、それは単純。
仕事。
労働しないと推しには会えない現実。あたりまえ。
社会人として当たり前のことだとわかっている。
平日昼間のイベントなんて、普通の会社員が行けるわけない。
そう頭では理解しているのに、心の中では「なんで平日なの」「ずるい」と思ってしまう。

推しや同じファンが楽しそうに投稿しているSNSを見るたびに、胸の奥がギュッと痛くなる。
その痛みは「行けない悔しさ」と「置いていかれる寂しさ」。

本来なら、推しの活動を喜び、応援できるはずなのに、
どうしてこんなにも心が疲れてしまうんだろう。


推し活が「楽しい」から「義務」に変わってしまった瞬間

思えば、最初は純粋に楽しかった。
推しの笑顔を見るだけで、明日も頑張ろうって思えた。
イベントに行くたびに友達が増えて、推しをきっかけに人生が彩られていった。

でも、いつの間にか「行かなきゃ」「買わなきゃ」「反応しなきゃ」になっていた。
SNSを開けば、毎日のようにファンの投稿が流れてくる。
「〇〇くんに認知もらえた!」「〇〇ちゃんとハイタッチできた!」
そんな報告を見るたびに、私の心はざわざわして、
“自分だけが取り残されているような気分”になっていった。

行けない日が続くと、「もう私のことなんて覚えてないだろうな」なんて考えてしまう。
推しのことを嫌いになったわけじゃない。
ただ、推し活が義務のように感じる瞬間が増えて、純粋に楽しめなくなってしまって…。
推しとの距離が近い界隈だからこそのモヤモヤ。
ある意味、贅沢すぎる悩みですね。


「みんな行ってる」SNSの世界に押しつぶされそうになる

SNSって本当に便利で、同時に残酷。
イベントに行けなかった日の夜、タイムラインを開いたら、みんなの幸せそうな投稿が流れてくる。
「今日は最高だった!」「〇〇くんに名前呼ばれた!」
嬉しい報告のはずなのに、涙が出そうになる。

昔はそれを見るのが楽しかったのに、いつからか辛くなって。
いいねも押せない。見たくないけど気になってしまう。
そんな自分にまた自己嫌悪して、さらに落ち込む。

SNSを見なければいいのに、推しの投稿を見逃したくない気持ちもあって、結局開いてしまう。
まるで、自分で自分を苦しめているような気分。

チケットがないとかじゃなくて、時間がない。
仕事だから仕方ないけど・・・
贅沢なジレンマです。


ブログからも離れていた理由

そんな心の状態だから、ブログを書く気力もなくなっていた。
美のモチベーション、仕事のモチベーション、推し活のためにが基本だったので、
「私が書くことなんてあるの?」って思ってしまった。

「行けた人しかわからない感動」「参加できた人の世界」
そこに自分はいない。そう思うと、本来のテーマだった
“美しい50代になる”という目標を忘れてしまっていた。

でも、ふと思った。
私が推し活を始めた頃の気持ちって、
“イベントに行くこと”が目的じゃなかった。
“推しが頑張る姿から元気をもらうこと”が原点だったはずだって。


推し活をやめたいわけじゃない。距離を変えたいだけ。

私は推し活をやめるつもりはない。
ただ、距離の取り方を変えたい。

今の私は、推し活に人生の軸を預けすぎていた。
「行けない=価値がない」「現場にいない=ファンじゃない」
そんな思い込みに自分で苦しんでいた。

でも、本当は違う。
行けない日があっても、推しのことを思いながら日々頑張っている自分も、立派なファンのひとり。

推しが輝けるように、自分も輝いていたい。
そのために、これからは“自分磨き”にもっと時間を使おうと思う。


「推しに恥じない自分」でいたいから

推しを見ていると、どんな日も全力で頑張っている。
ステージに立つその姿、真っ直ぐな目、努力を続ける背中。
それを見るたびに、「私もがんばろう」って思える。

だから、私はもう一度初心に戻る。
推しを追いかけるだけの生活じゃなくて、
自分自身を整える時間も大事にしたい。

  • スキンケアを丁寧にしてみる
  • 新しい本を読んで心を潤す
  • 美味しいものを食べて笑顔で過ごす
  • ちょっとだけ運動して体を軽くする

そんな小さな積み重ねが、きっと推しに会える日の自信になる。


これからの私の推し活宣言

これからの私は、
「推し活=自分を犠牲にすること」ではなく、
「推し活=自分を大切にするきっかけ」として続けていく。

現場に行けない日はきっともっと増える。
SNSに投稿できない・見るのが辛い日もきっともっとある。
それでも推しを嫌いにはなれない。

そして、自分自身を磨いていくことで、
会える日の私が特別になり、
「この時間があってよかった」と思えるようにしたい。


おわりに:推し活は“人生の一部”であって“全部”じゃない

推しがいてくれることは、本当に幸せで、日々の生活に彩りを与えてくれる。
でも、推しは私の人生の「全部」じゃない。

大切なのは、推しがくれた元気で、私自身の人生を豊かにしていくこと。

だから私は、今日ここで宣言します。

「推し活と程よい距離を保ちながら、自分磨きをしていきます。」

推しの笑顔に元気をもらいながら、私も自分の人生をちゃんと生きていく。
そうやってまた、次に会う日の自分を好きでいられるように。


🌸追伸

もし今、同じように「現場に行けなくて苦しい」「推し活に疲れた」と感じている人がいたら、
無理に頑張らなくていいと思う。
離れることも悪いことじゃないし、“好き”の形は人それぞれだから。

心が少し元気になったら、また戻ればいい。
推しはきっと、そんな私たちの頑張りも見てくれているはず。

お金にも時間にも限りがある。
一日は平等に24時間しかない。
活かすも殺すも自分次第!

自分の人生に責任を持って、どんなことも楽しんで生きていきたい。
未来の私が笑顔でいられるように、今日も頑張るぞ!!

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